ある日・それからある日、ほんとうに突然。私は引越しを決意した。 離婚の話はずっと繰り返してきた。 そのとき、母親は「男親でも、子供と別れるのは辛い」と言った。 又、ダンナ? 女親の私は?辛くないの?娘の私は辛くないとでも言うの? 何?これ? ややこしい話である。 何故?何故?何故、母はダンナの見方なの? 理解できないことばかりを心に抱えて、私はこれ以上、どうにも出来ない! 子ども達を連れて家をでたのだ。 引越しの日、母は来なかった。 長男の小学校の転校手続きもした。 次男は、あと2ヶ月ほどで、小学校入学だった。 今、通園の保育所を移動させるのは、中途半端だったし、かわいそうだから、そのまま引き続き通園させることに決めた。 母は、子ども達のことをどうするのか、相談にも乗らなかった。 全く知らん顔だった。 朝、食事を済ませて、長男は近くの小学校へ。 私は次男を連れて、電車に乗り、勤務地の駅を通り越して、元の土地の保育所へ送っていく。 後戻りして出勤。 夕方のお迎えの時間には行くことが出来ないので、友達に次男のお迎えも頼んだ。 それも母親は知らん顔だった。 仕事が終わる頃にはもう真っ暗だった。 家とは反対方向へ次男を迎えに行く。 気持ちよさそうに寝ている次男を起こし、コートを着せてだっこして駅へ向かう。 家まで約1時間。 家では長男もお腹を空かせてまっている。 ご飯の支度をし、子ども達と一緒に遅い夕飯。 お風呂へ入り、洗濯。寝るのは夜中2時を過ぎる。 朝は7時に出かける。 それでも母親は連絡もなかった。 息をひそめているような。 全く知らん顔だった。 ある日の早朝、祖母がやってくる。 「おかあちゃんが、ダンナと一緒に子ども達を取り返す相談をしてる! 絶対にどんなことがあっても、アンタ子どもを放したらアカン!」 それを言いにやってきた。 場所を教えたわけでもなく、私が雑談してる内容を継ぎ足し継ぎ足し、その変で聞きながらやってきたのだという。 |